2013年4月17日水曜日


朝起きるとすでに8時!疲れがたまってるな。ボストンで大変なことが起こったものだ。

朝食、今日の夕食仕込み(トマト仕立ての野菜スープ)、掃除、洗濯、パネル準備など。家にいるとこれでもかと用事が重なるものだ。早く家から離れたい! 
自動車の保険事務所に契約に向かう。事務所はホテルロードにあるのだが、家から近いので楽勝。と思いきや警察が道路封鎖、急いでいる時に何しやがる、とITC方面にずっと遠回り。メインストリートMarine Corps Driveも妙に交通量が多い。「全くこんな渋滞たまらんな怒」と完全に住人の視点の自分が面白い。結局ホテルロードのかなり外れから迂回する。近くの駐車場から歩く。マリオットホテル前でまた警察が道路封鎖。「やけに事故が多い日だな」事務所に電話する。なんでもヒルトンで不審物が発見されたらしい。
ボストンの事件もあり、FBIが出動して調査中らしい。今日の空がいっそう青いだけにいつ何が起こるか分からぬ危険を思う。 

米軍関係者の(PR誌?)の雑誌が置いてあった。労災や「我々医師は兵士を確実に生存させます!」医療の宣伝、福利厚生、第2次世界大戦、ベトナム戦争の退役将校、アフガンでのレポートなど。職業としての軍隊の存在が生々しい。そういや、島のメインロードは(海兵隊ロード)の名であり、島に戦跡多く、軍の要衝なのだ。我々の生活が軍事上の傘の下にあることを肌で感じる。日本では実感しにくい。だが災禍は不意にやってくる。

 1時に終わり。買い物自宅にて準備。2:30に出発。 島南部を西回りで行く。
 青い海に白い墓地がまぶしい。イナラハン村はムリと判断、途中の入り江の村。日曜日は人が集う。今日は誰もいないジャックフルーツがたわわに実る。
行き来するうちに方向感覚が分からなくなる。ベトナム戦争のチャモロ人74人戦死者慰霊碑公園。4000人の現地人が出征した。1950年にアメリカ市民権を得た若者が勇敢に戦った。 絶景。谷間の雄大な空間と、熱帯の木々の生命感が半端ない。絶好の天気だが日差しも強い。谷間を見下ろす尾根に立つと、風が涼しい。鮮やかに輝く草原と谷間の椰子の林。展望台の石の縁を歩くと谷までの高低差が凄まじい。途中下まで降りていき、スケッチをする。どんどん描こう。横に広がるなかなか雄大な風景が多い。タオルで頰被り、UVは塗ってあるが多分役に立たないと思う。水分の消耗著しいが、汗もかき体が燃えて良い感じだ。持参のペットボトル1本飲み干す。が、次の現場近くで「しまった!水が無い!」ことに気がつく。そのまま走って近くの万屋で水を買う。 
 焼き畑農業?常夏の島でも一応冬はあるのか、黄金色の草原が雨期には一面緑になるのだろう。丸みを帯びた山々は浸食され谷間と尾根の立体感が際立つ。長い芝の様な草が斜面にびっしり生える。林の切れ目に湾曲する道が見える。人工物も生活をリアルに観察すれば感情移入が可能になり絵になる。だから現地にもっともっと馴染むべきだ。自分にとって「絵になる」ことの意味が変わるだろう。次のポイントを探すうちに(一本道なのだが)方向を見失う。迷ったついでに目立つポイントで下車、描ける場所か確認を繰り返す。焼き畑の煙が山間に漂う。草原に点在する枯れ木。浜辺の椰子の幹は住民に傷つけられ凸凹。それが面白い。

今日の目標のセッティ湾展望台 これまたふくよかな現地娘2人が展望台で水パイプ!ストロベリー系の良い匂いが夕暮れの丘に立ちこめちょっと良い気分だ。目が合うなり「Hi are you painting?」と笑顔で話しかけてきた。
 展望台から手持ちのF8号パネルに描く。これが2年間GUAM滞在の最初の作品だ。
すでに陽は傾き谷間の椰子林は昏いが西向きの斜面は光輝く。ここで1時間程だが描く。これで杭は打ち込んだぞ。

薄暗い中、夕食のために帰るのが惜しかったが、自宅までほぼ30分かけて帰る。
 今は外からこの島を観察しているにすぎぬが、それで良い。早いうちにシュノーケリングで海中も見てみよう。動き回って島のスケール感を早く体で覚えよう。イメージというのは不意に訪れるから、仕込みは早い方が良い。外国にいるのが不思議な感じで、こちらでフル回転するためにまだまだやらねばならないことは多い。


メリッツォの海を泳ぐy


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